アレルギー患者の数は年々増えているそうですが、まだまだ世間一般に「食物アレルギー」についての常識が浸透していないと感じます。
個人的には別に浸透させる意味もないかなとは思うのですが、
アレルギー界隈での”非常識”を、「アレルギーってこんなもんでしょ」と理解されてしまうのにはリスクが伴いますので、
こんな末端ブログですが、ちょいとばかし啓蒙のようなことをしようかなと思いました。
ネット上で目にする「アレルギー界隈的に”非常識な”」発言を添削していこう!
最後に【まとめ】をしますので、冗長な文章を読むのがつらいよーという方は最後のほうまでスクロールをおすすめします!
まずは添削する発言の要約です。
「アレルギーだと言って食べるのを止めるから、久々に口にしたときに酷い症状が出てしまう。少しずつでも口にしていればそんなに酷くならないはず。現に私は、子供の頃にアレルギーがあったが、少しずつ食べることで克服している。そうやってアレルギーだからと嫌いなものを食べない言い訳にしているだけだろう。ファッション感覚で病気を装う人が多くて辟易する」
このままのことを誰かが書き込んでいたというわけではないのですが、おおよそ、「こんなような理解をしているな」という部分を要約してみました。
危険ですね。ザワザワしますよね?
添削していきましょう。
「アレルギーだと言って食べるのを止めるから、久々に口にしたときに酷い症状が出てしまう。少しずつでも口にしていればそんなに酷くならないはず。」 酷くなります。身体が炎症を起こし続けて負担になるし、食べ続けることで症状が悪化して取り返しがつかなくなる場合があるので危険。絶対にやめましょう。アレルギーは加算式!
「現に私は、子供の頃にアレルギーがあったが、少しずつ食べることで克服している」
子供のアレルギーと大人のアレルギーは性質が違います。子供の免疫システムは不完全で流動性があるのに対して、大人の免疫システムはすでに完成されているので変化しないとかなんかそういう感じ。女性は初潮・妊娠出産・閉経のタイミングで体質が変わることがあるそうですが、過度な期待は危険です。
つまり、それが通用するのは「子供時代だけ」です。大人に強要するのはやめましょう。
とりあえずここまでですよね。
私、この旨の発言を見ていて、とっても危ないなと感じたのが
「私もかつてアレルギーだったが克服した」
という部分なんですよ。
つまりは「私の経験が他の患者にも通用する、常識である」と思い込んでいるところに危険な香りがまとわっているわけです。
こういう思い込みがあると、なかなか正しい知識をつけるのが難しいというか、まず第一の壁になると思うんですよね。
よくいるじゃないですか「俺にできたんだから」って言って努力を強要する方。
できるかできないかは個人の問題であって、同じ方法論が他者にも通用するとは限らないんですよね。あらゆる事柄において。
しかもアレルギーはかなり複雑で、大人と子供でも違うし、個人差っていうのがエグいんですよね。症状の出方も、検査結果も、予後も、個体間で全然違う。
というか、免疫系というのが全容解明されていない分野だそうなのでまだまだ未知の世界。
今ある「成人後に発症したアレルギーは治らない」という常識も今後くつがえっていく可能性があるとも言えるんですけど。
ただ、「現段階では」の”常識”を、常識として構えていたほうが安全ですよね、という話。
後半の添削に参りましょう。
「そうやってアレルギーだからと嫌いなものを食べない言い訳にしているだけだろう」
まず、それで何か他者に対して弊害があるのか? が気になるところではあるんですが、食物アレルギー患者は本人が一番その食品を食べられないことに悔しく悲しい思いをしていますので、言い訳ではないんですね。命を守っています。
「ファッション感覚で病気を装う人が多くて辟易する」
これに関しては同意なんですが、ファッション感覚で病気を装う方は健康な方なので気にしなくていいんです。怪しかったとしても”もしかしたら本当に病気の人かもしれない”と思うことは大事です。
相手が健康体の病気偽装者なら、どう対応していても何の問題も発生しませんが、相手が本当に病気の方で、偽装者として対応すると取り返しのつかないことになるリスクがあります。
リスクを回避しましょう。そして他人をコントロールする必要はありません。うっとうしいなら離れましょう。
後半は感情的なやつですね。
人は「ずるをしている」と思うとそれを正したくなる習性がありますよね。
というのも「私は我慢したのに」というのがあるからなんですって。
「私は嫌いなものも我慢して食べて今があるのに、この人は言い訳をして食べないようにしてずるい」
と、こういうことでしょうかね。
食物アレルギー界隈の人としては、こういう先入観でこられると最も厄介な感じがしますね。
そしてこの思い込みが「アレルギーなんて食べてりゃ治る」「アレルギーなんて本人の思い込み」という、添削の前半部分のような間違った解釈にも通じていってしまうわけですね。
この手のことを言う方に伝えたいのは
「放っておこうよ」
ということですね。
正す必要なんかないし、一緒に食事にも行かなくていいと思うんですよ。
”そうはいかない”という関係性ならなおのこと、それ以上踏み込まなくていいんじゃないかな。
たとえば家族がこれで困っている、なんていう方もいますよね。
放っておきましょう。妹でも兄でも母でも父でも。
細かく注文を付けてくるので食事の準備がめんどう、なんていう事態もあるかなと思いますが、本人にやらせましょう。
本当にアレルギー、本当に具合が悪い場合は、恐怖心が生まれますので自然と自分でやるようになります。
怖いですからね、人に任せるのが。
もしそうじゃなくて「アレルギーだから弁当に冷食いれないでって言ったじゃん!ちゃんとしてよ!」みたいに他人任せで口だけ出すような場合は、本人にやらせましょう。
「あなたにとって危険な食材を把握しきれない、自分でやったほうが安心だから自分でやって。お母さん、あなたを殺したくないよ」と泣きながら訴えましょう。
ウソなら折れます。
ガチなら自分でやります。
知らんけど。
【まとめ】
●「”食物アレルギーについて”自分の考えがあり、それを当事者に突き付けて論破してやろう」 という気持ちになったときは、いったん落ち着いて、ネットでアレルギー専門医やアレルギー専門医療機関が発信している情報を読み、自分の考えの答え合わせをしてからにしましょう。
●成人後に発症したアレルギーは治らない。(でも希望は捨てずにいよう)
●アレルギー検査は絶対じゃない。陽性でも症状なし、陰性でも症状ありということがある。
●アレルギーは加算式と言われ、原因物質を摂取し続けることでアレルギーが発症。発症後も摂取を続けるのはリスキーなので避けるべき。
●原因物質を少量ずつ摂取し身体を慣れさせる「経口免疫療法」は子供には有効だが、成人にはリスクの高い治療法。特定の症例には効果があるようだが、ほとんどの場合であまり効果がなく、専門の医療機関で慎重に行われる。
当然、個人が個人に薦めるような治療法ではありません。
●健康であるのに、なんらかの意図でもって「食物アレルギーを装う人」に関しては何も考えない、放っておく、関わらないのが最善。
「アレルギーを否定・ウソを暴く」のではなく、”関わってはいけない人”として離れましょう。
●「大勢で食事をするのにも気を遣うので、食物アレルギーの人は苦手/嫌い」と思われる場合、無理に誘う必要はありません。
もし相手が自ら”配慮”を求めてくるような人物であればなおのこと、その人を除いた仲の良い人たちだけで食事をしましょう。
その人の「アレルギーを否定」する必要はありません。
●もしも、食物アレルギーの人が愛すべき人の場合は、毎回ではなくてもときどき食事に誘ってあげてください。しかし多重アレルギーの場合は入れる飲食店がない場合がありますので、ピクニックなど手作りのお弁当を持ち寄れる機会をつくり、その愛すべき人との食事を楽しんでください。
ヨワヨワの自己解釈がふんだんに入っていますので、この記事を鵜呑みにせず、正確な知識をつけたいよーという場合はぜひ専門医などの発信している情報を信じてください。
私自身も間違った理解や解釈をしている可能性がありますので、その辺はご了承ください。