体質のことは受け入れて、食べられるもので美味しいものを食べて満足してはいるんですけど、
本当にたまに、なんですが
ものすごく寂しくなることがあるんですよ
糖質もタンパク質もビタミンも、そこそこバランスよく摂れてるので生命にかかわるような状況ではないにもかかわらず、
【文化】という点で、不足感があるんでしょうね。
私、思うんですけど
人間同士のコミュニケーションってけっこうな割合で【食】に頼っている部分があるなあ、と。
「飲みに行こう」とか「お茶しよう」とか「うちでたこパしよう」とかですね。
これから関係性を深めていくぞ、という場合に【食】というものの持つパワーというのは計り知れないわけで。
同じものを食べる という行為そのものが、言葉よりももっと原始的で直感的なコミュニケーション方法なんだろうなと。
無意識でそこと繋がっているのかどうかは分からないんですが、
「自分はみんなと同じものを食べて感動できないんだな」
と、ふとよぎることがありまして、そのときに寂しさを感じてしまうわけです。
何か美味しそうな食べ物を目にしたときに、好きな人と一緒に食べたいな、と思ったとしても食べられないわけですからね。
特に好きな人がいるわけではないんですけど、そう思ってもできないんだなーというのが、無性に寂しくなりますね。
特段、人といるのが好きとか社交的というわけではなく、むしろ孤独主義なタイプなんですけど【できるけどやらない】のと【そもそもできない】では雲泥の差だなーとつくづく感じているわけです。
買い物をしていてもつまらないんですよね、正直。
かわいいパッケージのお菓子とか買いたいと思っても買えないんですよ。あとはどんな味なのか気になる謎商品とか。
基本的に私は食べ物を粗末にするという行為に非常に強い嫌悪感をもっていますので、買うだけ買って捨てるとかいうことは絶対にしません(早口)
食べられないと分かっているものを買うことはできないのです。
家族に食べてもらえればいいんですけど好みが合わなくて、私の気になる商品を「食べたくないかも」という場合がほとんど。
残念ながら友人や職場の人というのがいないのでおすそわけもできず・・・とほほ
最近、少しおセンチなんです。
おセンチってもう使わないですよね。実は私の年齢層の人でも使う人は見たことないんですけど、私はけっこう古い言葉を使うのが好きです。
なんだか妙に的を射ているというか、ちょうどいいなと感じる表現が多い気がして。
というか時代に関係なく、しっくりくる言葉を使ってしまいますね、通じる通じないとか考えずに。
脱線しました。
おセンチなのは理由があって、健康な人が冗談まじりに
「食べ物への感謝ないかも!食べられるのが当たり前だし!3日くらい断食させられないと感謝できないかも!」と言っていて
いやまあ、それは本気で言ってるわけじゃないんだろうなというのは分かるし、
「私の前でそれ言う?!キィィィ!!!」とヒステリーを起こしたわけでもなくて、
そうだよね
と思ってしまったんですよね。
まあ、それが普通なんだよね、みたいな。
感じないようにしていた世界の壁みたいなものが一気に可視化されてしまったような、そんな気持ちになりました。
まあしかし、そういう点で私たちのような人間は普通の人よりも人生経験が豊富ともいえるし、誰もかれもが知りうる感情ではないレアな感情を知る稀有な存在であるとも言えるので、リアル仙人候補ではあると思うんですよ。
普通の状態から脱しない人は仙人候補にすらなれませんからね。
なんかムカつきもしたので己の手でクソうまいもんを生み出し続けてやろうと思いました。